忘れられない音楽家の思い出

ワルシャワヴォイス新聞 2005年10月18日付け
日本語翻訳:鳴海和子様によるご提供


アレクセイスルタノフ、1989年のテキサスフォートワースにおける第8回ヴァンクライバーン国際ピアノコンテストの優勝者であり、1995年ワルシャワにおける第13回フレデリックショパン国際ピアノコンクールの最高位賞受賞者は2005年6月30日フォートワースで死去した。

私が初めて彼の演奏を聴いたのはいつだったろうか?それは16年前1989年のワルシャワの夏の終わりであった。それが特に20歳で有名なヴァンクライバーン国際ピアノコンクールで1位優勝を果たしたばかりのその人の演奏をじかに聞くことに恵まれた時だった。プログラムはこの本当に特別な音楽家、ジャズも演奏しロックも拒まない、武道好きの音楽家に大きな成果をもたらすことを約束していた。この写真は彼の顔が世界に興味と驚きを持って輝き、やさしく暖かくそして本当に楽しんでいる様子を表している。そのまなざしは集中力と決断力と勇気に満ちていた。その顔は現実に向かう決心の表れと先を見通した顔だった。それはそう感じた瞬間だった。

フィルハーモニーホールのリサイタル会場を出たとき私は違う人間になっていた。この音楽協会のホールで経験したことは今まで自分に起こったことがないものだった。このように虚飾もまやかしもなしに革新的で自信に満ち、賢さとインテリジェンスと創意工夫にあふれたライブコンサートを聞いたことがなかった。ハイドンの変ホ長調ソナタはとてもメロディアスで軽やかに聞こえた。それはとても考えられて構成されており、綿密に演出され優美に創り出されていた。自分の無駄な思い違いをたちまち失わせるせる程それは自分が知っているソナタ以上のものだった。そのつぎはショパンのスケルツォ、ロ短調と変ロ短調だった。それもまた衝撃だった。そこに語り継がれるべき意匠があった。ショパンのフレーズは新しくて知られていない形であったが、完璧なハーモニーが作り出されていることを表わしていた。急いで家に帰って、ワルシャワの夜の興奮さめやらぬ中で楽譜をチェックしてとても驚いた。あの男の子がショパンの言葉のすべてを正しく表現したのだ。その音の響きは、イグナシー・フライドマンのメンデルスゾーンの無言歌、ショパンのマズルカと変イ長調のバラードにみられる伝説のレガテッシモを思い起こさせるしなやかなやわらかさだった。スルタノフの演奏のダイナミックなスケールの幅はこの驚くべきロシアのピアニストが聞かせようとする非常にかすかな色合いを出来る限り捉えようと聴衆の耳を澄まさせるのだった。またある時は現代のピアノにおけるクレシェンドの限界への考え方を真っ向から変えさせることになるだろう。小さな詳細な音までコントロールされた音楽をつくりあげ、スルタノフのこの類まれなカリスマの輝きは、驚きと賞賛とコンサートホールの中で絶頂までエスカレートするテンションを呼び起こした。彼のリサイタルを通してスルタノフは本当にすばらしい興奮を与え続けたのだった。

そのリサイタルは、スクリャービンのソナタ第5番、この世にこういう世界があるのかというような色にイルミネーションされたソナタ第5番、物理学の法則に挑んだプロコフィエフのソナタ第7番、(クライバーンコンクールで)高額な優勝賞金を賭けて演奏したリストのメフィストワルツと続いた。

数年後スルタノフのコンサートを聴く機会が何回か与えられた。これら全ての時、私はスルタノフは偉大な技量を持った自信あふれる熟達者としてただ聖なる火を再び輝かせようとしているのだという印象を持った。フィルハーモニーホールでのあの夜の(ワルシャワ音楽協会ホールのこと、つまりショパンコンクールの会場。1995年のことを指していると思われる:訳者注)、嵐を起こしたアメリカのコンクールの熟達者、私はその美しい記録はコンクールに占められているように思った。火はゆっくりと彼の中で燃え尽きようとしているかに見えた。そして熱い火山のようなエネルギーと目をくらます輝く火で我々に恩寵をもたらすチャンスをスルタノフから取り上げたことで火は完全に燃え尽きた。

この類まれな音楽家は純粋さが相互に働きかける喜びとめったにできない経験の喜びとを世界に与えた。彼が創り出す偽りのない美しい独特な高度な世界、彼自身の親しみ深い夢、熱望、経験とファンタジーの世界を我々に曝して見せた。美しく賢くヴィトルト・ルトスワフスキー(ポーランドの偉大なピアニストにして音楽家)のように(神に)委ねられた良きもの、その才能を表現した。アレクセイ・スルタノフはその良きものを世界に非常に気前よく分け与えた。献身、やさしさ、繊細さ、洗練、純真さを持って。雷のように音を放り投げようが、コンフェッションを優しく囁こうが彼は常に痛々しいほど正直であった。

羨望した神々がお気に入りの彼をあまりに早くに奪い去ってしまったのだ。この真実は神々自身と同じくらい古い。(神は愛するものほど早く召すということは昔から言われているの意味でしょうか:訳者)

By Maciej Grzybowski


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