Tribute to Sultanov Vol.3 ~今泉響平ピアノリサイタル~

アレクセイ・スルタノフへのリスペクトをテーマにしたコンサートシリーズ「Tribute to Sultanov」の第3回目を開催致します。
ピアニストは、第2回に引き続き、モスクワ音楽院に学ぶ今泉響平さんです。
Tribute to Sultanov Vol.3のお知らせ

概要

公演タイトル:Tribute to Sultanov Vol.3 ~今泉響平ピアノリサイタル~
- アレクセイ・スルタノフへのリスペクトを込めた、2大ソナタへの挑戦-

日時: 2016年07月29日(金) 18:30 開場 19:00 開演
会場: ルーテル市ヶ谷ホール
前売:3,000円 当日:3,500円 全席自由

出演
ピアノ:今泉 響平
トーク:村上 雄介

主催: アレクセイ・スルタノフ支援会
後援:一般社団法人全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)、MPM企画
チケット申し込み専用サイト:PC用 / Mobile用
お問い合わせ: sultanovpf@yahoo.co.jp

プログラム

ショパン:マズルカ op.56
ショパン:幻想即興曲 op.66 (スルタノフ編)
ショパン:ピアノソナタ第3番 ロ短調 op.58
リスト:ピアノソナタ ロ短調 S.178

曲目・曲順が変更になる場合がございます。

出演者プロフィール

今泉響平(Kyohei Imaizumi) ピアノ
1992年福岡県に生まれ10才よりスズキ・メソードでピアノを始める。15才で全過程を終了。
2006年14才の時に井崎正浩指揮スズキ・メソード管弦楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲23番2楽章を共演
2008年すみれ会音楽コンクール高校の部優秀賞受賞
2008年ヴェルデ音楽コンクール高校の部金賞受賞
2008年第27回福岡県高等学校音楽コンクール金賞受賞
2008年東京国際芸術協会海外音楽大学マスタークラス派遣者助成オーディション準合格
2009年第28回福岡県高等学校音楽コンクール金賞受賞
2009年第54回西日本新人演奏会本選出場
2010年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院へ留学2011年第2回スロボジャンスカ・ファンタジー国際ピアノコンクール(ウクライナ)第3位受賞
2012年モスクワ、ナ・キスロフケホールにてソロリサイタル
2013年第14回マリヤ・ユーディナ国際ピアノコンクール(ロシア)第2位受賞
2015年第39回ピティナ・ピアノコンペティション特級セミファイナリスト
2015年第4回クリミア音楽祭出演(ロシア)
2015年第9回マスターへの道国際コンクール(ロシア)第2位、ならびにヴィルトゥオーゾ賞受賞
2015年 Tribute to Sultanov (Vol.2)に出演
井崎正浩指揮スズキ・メソード管弦楽団、アレクサンドル・フルギン指揮カントゥス・フィルムス管弦楽団、アレクサンドル・シュロフ指揮ルガーンスクフィルハーモニック・アカデミー交響楽団と共演
重松正大、イリヤ・オフチニコフ、ミハイル・ヴォスクレセンスキー各氏のレッスンを受講。
これまでに中島京子、田中やすゑ、田中正也の各氏に、現在はヴラディーミル・オフチニコフ氏に師事。室内楽をこれまでにミハイル・オレーネフ、ヴァチェスラフ・ヴァレーエフの各氏に、現在はアレクサンドル・ルディンに師事。伴奏法をスヴェトラーナ・バンダレンコ氏に師事。
モスクワ音楽院卒業。日本とロシアを中心に演奏活動を行なっている。

村上雄介(Yusuke Murakami) トーク
日本アレクセイ・スルタノフ支援会代表。
1996年より「アレクセイ・スルタノフ応援サイト」を立ち上げ、スルタノフファミリーと連絡を取り合いながら、国内外への啓蒙を行う。
2004年「アレクセイ・スルタノフ ライブ・イン・リガ」CDの製作の企画・監修
2008年・2009年 スルタノフ追悼コンサート「Homage a Sultanov」の企画を実施
2014年・2015年「Tribute to Sultanov」シリーズの企画および出演

アレクセイ スルタノフ (Alexei Sultanov)
1969年8月7日、チェリストの父、ヴァイオリニストの母より、ウズベキスタンの首都タシケントにて生まれる。6歳よりタマーラ・ポポヴィチ女史に師事。7歳でモーツアルトのピアノ協奏曲(K.382)を演奏しデビュー。モスクワ中央音楽学校、モスクワ音楽院でレフ・ナウモフに師事。1989年、最年少の19歳で第8回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに優勝。1995年第13回ショパン国際ピアノコンクールにて最高位を受賞。スルタノフはコンクール史に残る多くの名演を残し、コンクールは常にスルタノフを中心に回った。コンクール後は日本やポーランドを中心に世界中でコンサートを行い、常に聴衆を熱狂させていた。
2001年、硬膜下血腫にて入院、左半身麻痺になる。スルタノフ夫人との二人三脚で、厳しいリハビリメニューを行いながら、2004年右手のピアニストとして、ボランティア活動を開始する。病院施設などで電子キーボードを使ったミニコンサートを繰り返した。大きな病を抱えながらも、スルタノフが懸命に右手でメロディーを奏でる姿は、重症患者たちに"ネヴァー・ギブ・アップ"のメッセージを与え、大きく勇気付けた。同年アメリカ合衆国国籍を取得。2005年6月30日 フォートワースの自宅にて逝去。
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